2007年4月27日金曜日

「近代教育がつくり出せない人間像」

30年前に書かれたこの小論には「社会の転機と教育の転換に関する覚書」という副題がついている。
 矢口は言う。「新たな人間像の育成がさまざまな形で主張され要請されていることは衆知のことである。しかしそれが単なる願望に終って、具体的な姿をとって現実化しないのはどうしてであろうか。」
その理由を矢口は、教師が教科書で教科を教えるという近代100年の教育の構造にあるとし、その構造が当時の公害問題、自然破壊、汚職事件などを生み出す地盤ともなっていると述べている。この指摘を今日のイジメ問題や必修科目履修漏れなどに置き換えて読んでみても、全て当てはまるような気がする。
 「現代の学習は、場のダイナミックスの中での人間の形成を忘れた抽象的観念の産物としての学習である。」という指摘も、そのまま今日の問題といえるのではないだろうか。
 矢口は具体的な方策についても、公害、自然破壊、汚職など社会の問題を自ら克服する人間を目標として、「生活を通じて生活することを身につけながら、より幅の広い生活圏へと広がり行く、より複雑な行動の場を展開することが新たな学習システムの開発の方向であろう。」と述べている。目標は社会の中で生きて働く人間の行動力を育てることであり、それには従来の方法ではダメだ、と言っているのである。(S)
(矢口新選集第3巻「探究的行動力を育てる学習システム」1993所載)

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